医療法人のM&A実務(売却編)⑭:クリニック売却と医療法人ごと売却:2つのスキームの違い
医療法人のM&Aには、大きく分けて2つのスキームがあります。「クリニックだけを売却する(事業譲渡)」か、「医療法人ごと売却する(持分譲渡)」かで、手続き、税負担、期間などが大きく異なります。
本記事では、この2つのスキームの違いと、それぞれのメリット・デメリットについて解説します。
2つの売却スキームとは
クリニック売却(事業譲渡)
医療法人が開設している診療所の資産・負債を個別に譲渡するスキームです。売り手の医療法人は存続し、診療所だけを売却します。
医療法人ごと売却(持分譲渡)
医療法人の出資持分(所有権)を譲渡するスキームです。法人の所有者が変わり、診療所を含むすべての資産・負債が自動的に承継されます。
【スキーム1】クリニック売却(事業譲渡)
医療法人が開設している診療所の資産・負債を個別に売却します。
基本的な仕組み
売却される資産
不動産(土地・建物)、医療機器・備品、在庫(医薬品・診療材料)、カルテ・電子カルテシステム、電話番号・ドメイン、のれん(患者基盤、評判等)
売却されない資産
預金、診療所以外の資産、持分譲渡では承継される簿外資産
承継される負債
契約で定めた負債のみ(リース債務、預り金等)
承継されない負債
未払金、借入金(原則)、簿外債務(原則)
法人の帰趨
売り手の医療法人は存続します。診療所廃止後も法人は残ります。
買い手の要件
個人医師でも医療法人でも買い取り可能
個人の医師が診療所を開設する場合、医療法人が分院として開設する場合、どちらも可能です。
手続きの流れ
手続きの流れ
- 社員総会決議
- 定款変更認可申請(診療所廃止)
- 認可(1-2ヶ月)
- 登記(2週間以内)
- クロージング
- 診療所廃止届(保健所)
- 保険医療機関廃止届(厚生局)
買い手が個人医師の場合
- 事前相談(保健所)
- クロージング
- 診療所開設(クロージング日)
- 診療所開設届(開設後10日以内)
- 保健所の現地確認
- 保険医療機関指定申請
買い手が医療法人の場合
- 社員総会決議
- 定款変更認可申請(診療所開設)
- 認可(3-4ヶ月)
- 登記(2週間以内)
- 診療所開設許可申請(保健所)
- 実地検査
- 開設許可証交付
- クロージング
- 診療所開設届
- 保険医療機関指定申請
所要期間
買い手が個人医師の場合
全体:6-8ヶ月程度
内訳:売り手の定款変更(2-3ヶ月)、デューデリジェンス・契約交渉(2-3ヶ月)、買い手の開設手続き(1-2ヶ月)
買い手が医療法人の場合
全体:8-10ヶ月程度
内訳:売り手の定款変更(2-3ヶ月)、デューデリジェンス・契約交渉(2-3ヶ月)、買い手の定款変更・開設許可(4-6ヶ月)
クリニック売却のメリット
売り手のメリット
- 選択的譲渡:売却したい資産・負債だけを選べる、診療所以外の資産は残せる
- 簿外債務の遮断:未払残業代、税務リスク等を引き継がせない、負債を限定できる
- 法人の継続:診療所廃止後も法人は存続、他の事業に活用可能、別の診療所を開設することも可能
買い手のメリット
- リスク限定:承継する負債を契約で限定、簿外債務を原則承継しない、安心して買収できる
- 個人でも買える:個人医師でも購入可能
クリニック売却のデメリット
売り手のメリット
- 重い税負担:手取り額が少ない
- 複雑な手続き:資産・負債の個別移転、契約の個別承継、定款変更・登記が必要
- 長い期間:6-10ヶ月程度必要、買い手が医療法人の場合さらに長期化
- 許認可の再取得:保健所:開設許可(医療法人の場合)、開設届、厚生局:保険医療機関指定、施設基準の再届出
買い手のメリット
- 複雑な手続き:個別の資産移転手続き、契約の巻き直し、新規の開設手続き
- 許認可の新規取得:保険診療空白期間のリスク(遡及適用で回避)、手続きに時間がかかる
- 個人の場合の資金調達:法人より融資が難しい場合がある
【スキーム2】医療法人ごと売却(持分譲渡) *旧法の医療法人の場合
医療法人の出資持分(所有権)を譲渡します。
基本的な仕組み
譲渡されるもの
出資持分(医療法人の所有権)、通常は全持分(100%)
自動的に承継されるもの
- すべての資産:診療所、不動産、医療機器、預金、投資等
- すべての負債:借入金、未払金、簿外債務を含む
- 許認可:診療所開設許可、保険医療機関指定、施設基準
- 契約:賃貸借契約、リース契約、雇用契約等
法人の帰趨
医療法人は存続します。所有者が変わるだけです。
買い手の要件
自然人(個人)のみ
買い手は個人に限られます。
理由
持分は自然人が保有するものであり、法人は持分を保有できません。買い手個人が持分を取得し、社員・理事となって医療法人を運営します。
手続きの流れ
基本的な流れ
- 持分譲渡契約の締結
- 社員総会(社員の交代承認)
- 理事会(役員の選任)
- 都道府県への届出(役員変更届等)
- 登記(理事長変更の場合)
- 保健所への管理者変更届(管理者変更の場合)
- 厚生局への届出事項変更届(管理者変更の場合)
定款変更が不要なケース
社員や役員の変更のみの場合
定款変更が必要なケース
法人名や診療所の名称変更等を伴う場合
所要期間
定款変更が不要な場合
3-5ヶ月程度
内訳:デューデリジェンス・契約交渉(2-3ヶ月)、クロージング・各種届出(1-2ヶ月)
定款変更が必要な場合
5-7ヶ月程度
内訳:デューデリジェンス・契約交渉(2-3ヶ月)、定款変更手続き(2-3ヶ月)、クロージング・各種届出(1ヶ月)
医療法人ごと売却のメリット
売り手のメリット
- 軽い税負担:手取り額が多い
- 簡単な手続き:資産・負債の個別移転不要、契約の承継自動、定款変更不要(原則)
- 短い期間:3-5ヶ月程度、クリニック売却より2-3ヶ月短い
- 許認可の継続:診療所開設許可継続、保険医療機関指定継続、施設基準も継続、診療空白期間なし
買い手のメリット
- 許認可の継続:新規取得不要、診療空白期間なし、患者への影響最小
- 簡単な手続き:資産・負債一括承継、契約承継自動
- 診療の継続性:患者が同じ診療所に通える、スタッフも継続雇用、保険医療機関番号も継続
医療法人ごと売却のデメリット
売り手のデメリット
- 法人の消滅:医療法人を手放す
- 選択できない:すべての資産・負債を承継、不要な資産も含まれる
買い手のデメリット
- 簿外債務のリスク:未払残業代、税務リスク、訴訟リスク等、すべて承継される、デューデリジェンスが重要
スキーム選択の基準
持分譲渡(医療法人ごと売却)が適しているケース
買い手が医師個人の場合
簿外債務リスクが低い場合(デューデリジェンスで確認済み)、税負担を最小化したい場合、診療空白期間を作りたくない場合、許認可の継続が重要な場合、短期間で完了させたい場合
売り手の状況
医療法人を他の用途に使う予定がない、完全にリタイアする、手取り額を最大化したい
事業譲渡(クリニック売却)が適しているケース
買い手の状況
買い手が個人医師で医療法人を取得したくない場合、買い手が既存の医療法人(分院として取得)の場合、簿外債務リスクを避けたい、承継する負債を限定したい
売り手の状況
医療法人を他の事業に継続使用したい、別の診療所を開設する予定がある、簿外債務のリスクが高く、買い手に承継させたくない
その他
資産の一部だけを売却したい場合
実務での選択
一般的な傾向
- 買い手が医師個人で医療法人を取得する意思がある場合:持分譲渡(医療法人ごと売却)が多い
- 買い手が個人医師で医療法人不要の場合:事業譲渡(クリニック売却)
- 買い手が既存の医療法人の場合:事業譲渡(クリニック売却)が多い
理由
許認可継続のメリット、手続きの簡便性
ただし
簿外債務リスクが高い場合は事業譲渡を選択
まとめ
医療法人のM&Aには、「クリニック売却(事業譲渡)」と「医療法人ごと売却(持分譲渡)」の2つのスキームがあります。
クリニック売却(事業譲渡)は、個人医師でも医療法人でも買い取れ、リスクを限定できますが、手続きが複雑で税負担が重く、6-10ヶ月かかります。
医療法人ごと売却(持分譲渡)は、税負担が軽く、手続きが簡単で、許認可が継続し、3-5ヶ月で完了します。ただし、簿外債務をすべて承継します。
税負担の差は2,500-4,500万円にもなるため、簿外債務リスクが低ければ、持分譲渡(医療法人ごと売却)が有利です。
自身の状況、買い手の形態、簿外債務の有無などを総合的に考慮し、税理士・行政書士と相談しながら最適なスキームを選択しましょう。
次回は、「売却契約書の重要条項:資産の特定から損害賠償まで」について解説します。






